お花見Preview !
いよいよお花見です。あなたは誰と行きますか?家族と仲間と、恋人とでしょうか。それとも一人で静かに見に行きますか。私たち日本人の花見は遠い昔から脈々と続いてきました。花に思いをよせたことって誰しも一度は経験のあることでしょう。桜咲くのちょっと前だからこそ、先人たちの花見の風景を辿って過去帳をつくってみました。
1.花見はいつからはじまったの?
万葉集に花見の歌が何首か納められていますが、当時の花見の対象は桜でなく梅でした。天平2年(730)大友旅人が太宰府で、九州の有力者を集め梅の花の園遊会をしたのが始まりです。
2.ではいつ頃から桜になったのでしょう?
平安時代、弘仁3年(813)2月12日神泉苑で天皇が花見をしました。これが花宴の節の始まりです。古今集のころにもなると京都には桜の名所が数多くできましたし、桜で名高い吉野(奈良県)もこの時代からです。
3.関東ではどうでしょう?
鎌倉時代、源頼朝が三浦岬に「桃の御所」「桜の御所」「椿の御所」をつくってその花の時期に宴を催しています。
4.有名な花見の宴は?
それはもちろん秀吉に尽きます。「吉野の花見」では、諸大名が南蛮服をきて、仮装行列パーティをしました。あの徳川家康も仮装させられていたんですねえ。それはそれは派手派手しく目一杯金のかかっていたものらしいです。
5.花見って貴族や武士のものだったの?
そうです。花見はお金がかかるものなのです。花見のためにその場所を整備し、余興もし、贅沢な食物もあって・・・。戦国の世を生き延びるのに精一杯の庶民には手の届かない余暇だったわけです。
6.花見では何をしていたの?
屏風や幔幕を張りめぐらせ、小袖を幕にするのが習慣でした。その囲いの中で毛氈や花ござを敷き三味・琴・鼓・笛の音を聴きながら詩歌や音曲に親しみ、酒や花見弁当で楽しんだのです。
上野の花見の景「江戸風俗図巻・上野の図」
7.じゃあ、現代の花見のメッカ上野が登場するのは?
江戸時代になります。徳川幕府の政権が安定し、やっと庶民は戦争から解放され、いろんな意味で余裕がでてきました。元禄11年、上野の山が一煤@開放されて現在の「花見といえば上野」が始まりました。上野の桜は寛永寺の開祖天海僧正が桜狂であったこと、さらに徳川家光によって吉野から桜が移植されています。芭蕉の奥の細道にも「上野谷中の花の梢 またいつかはと心細し」とあります。
8.庶民の花見は、どんなの?
花見そっちのけのドンチャン騒ぎは元禄文化から。化政期には親しい人達を連れての花見が盛んで、長屋の人達がお揃いの手a@ぐいをもって出かけたり、稽古事の娘達が揃いの着物をきて出かけたりで、行楽をかねて仲間意識を高めるために催されていたようです。今も同じですね。
9.花見弁当の中身は?
花見に代表される行楽の隆盛は、献立や容器を発達させました。提げ重といって料理・杯・銘々皿・徳利が入るユニットが完成しましたし、かまぼこ・海老・芋タケノコの煮物・焼き魚・饅頭・水ようかん・くずまんじゅうなど今でも日常的な弁当の中身もこのころに形作られたようです。
10.谷中墓地の花見は?
これは森まゆみさんの著書によりますが昭和28年芸大生が墓地で酒盛りを始めたそうです。ここは穴場。地元の人達をはじめ上野から流れてきた人々で賑わう桜並木があります。花見の最中は、石のしたで眠る亡き人らも何事ぞ!と思う 明るさでいっぱいです。きっと、おこってたたられることもありゃせんとは思いますが・・・。 ちなみに、谷中墓地はカラオケ禁止なので悪しからず。
次回は谷中霊園の今年のお花見をお伝えする予定です。
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